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ぎんがのうち 

永遠に繰り広げられる 光と闇のランデブー。螺旋に揺らぎながら僕らは今日も歌い踊る。

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仕事先の常世のブログにて

星のラブレター☆こまめに更新はじめています。

http://blog.goo.ne.jp/thc-karuizawa


星空のこと、健康のこと、自然のことなど書いています。

のぞいてみてくださいね。




夏。


軽井沢は一年で一番のにぎわう季節を迎えています。

猛暑の影響もあり、アウトドアブームもあり

今夏は、森ガールを筆頭に沢山の人が押し寄せそうです。



はじめた畑も育ている作物も雑草も生育のスピードが増しています。

カボチャにピーマン、ミニトマトがとれています。

信州ならではのお裾分けでいただくお野菜も多くなり

ありがたみを感じる季節です。



猛暑で夏バテしている人も増えてきているので

気をつけたいですね。



稲光ひかる停電の軽井沢町ヤナギヤハイツからでした♪

(停電だとおのずと省エネなのですね)


日々是良日







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内モンゴルの砂漠で感じたこと


日本列島は雨ですね。

内モンゴルへ旅をしてきました。

といっても今回の旅。
内モンゴルのみでなく中国小旅行といった方が
しっくりくる旅でありました。

内モンゴル自治区までたどりつくまでの移動にまる1日。
内モンゴル自治区一番の都市フフホトから砂漠の街、恩格貝にたどりつくまで
また一日。

北京に入ってから砂漠にたどり着くまでの
移動が思う以上に長かった。

またそれが貴重な体験でもありました。
いやあ中国は大きいですね。
今回いけた地域もほんのほんの一部です。

砂漠にいくことが目的だったから
忘れていたことなのだけど北京に入って一人、
空港をはなれると、かたこと英語もほとんど通用しないこと。
まったく僕自身、中国語が話せないこと。
つまり言語が全然通じない単純な事実に気がつきました。

しかもちょうど学生の夏休み期間中であったため
予定していた夜行電車も、変わりに使用を考えた飛行機も
明後日まで予約いっぱいだ!との状況。

目的が砂漠行きなのだからこれは困ったなと為替案を探した僕は
なんとか高速バスを乗り次いで内モンゴルに到着できました。

そのおかげで世界遺産である大同の巨大でかつ美しい仏教芸術にも
触れることができました。

今回の旅、助けられたのが漢字。ノートに目的地などを書いたりしながら
なんとかコミュニケーションをはかることができました。
あとはボディーラングエッジですね笑

フフホトの街で仕事先の常世の同僚である
内モンゴル生まれ育ちのモリカン夫妻と合流。

すっかり近代化したフフホトの街を観光しつつ現地名物という羊の焼肉をいただいたりしました。

そして目的の地、砂漠にたどり着いたのは中国に入ってから既に3日目。

砂漠の中に植林によってできた街。それが恩格貝。
その歴史をたどると約20年前に日本人の学者である遠山先生が
既に80歳を過ぎた年齢から植林をはじめられたとのこと。

現地にはその功績が認められ先生の彫像が立てられていました。
ほんとにびっくりするくらい何にもない降水量のほとんどない砂漠の地に
林が存在します。
まさに砂漠のオアシス。

人間の営みが原因の世界中の緑が失われ生物の種の絶滅が進んでいるけれど
、同時に人の手でここまで不毛の地にいのちを再生できるものかと正直驚かされました。

現地では現地の日本砂漠緑化教会の日本人スタッフの方に
植林ツアーに同行させていただき貴重な経験をすることが出来ました。

植林は植えるだけでなく管理していくことも大事な作業。
植林した苗木が風で砂漠の砂が運ばてむき出しにならないように
砂止めの柵をつくる作業をさせていだきました。

日本砂漠緑化協会
http://www.sabakuryokka.org/

その中で現地スタッフの方に伺った話で
印象的だったのが創始者の遠山先生の話。

遠山先生は戦時中に教員の立場から
生徒を沢山、中国に送り出していたそう。
その中には帰ってこない生徒もいたそうで
戦争が終わった後もずっと遠山先生の中で命を失った若い青年たちと
侵略をうけた中国の人々双方への申し訳ない気持ちが消えなかったそうです。

その想いが高齢になってからの精力的な植林活動の原動力となったという話でした。

先生は、中国の若い兵士に武器でなくスコップを持って木を植えるように
熱心に語りかけられていたそうです。

砂漠で緑化活動をする中心スタッフは日本人。
50代前後の現地スタッフが数人。
若い働きざかりの現地スタッフはいなかったのが気になりました。

日本の田舎の過疎地と同じで若い人は街へ勉強にいき
給与のよい物質的な暮らしを目指している様子。
ちょうど日本の10年くらい前の感じといったらいいのでしょうか。

印象的だったのが若者たちが満天の星空の仰ぐ野外にスピーカーを
持ち込んで流行のダンスミュージックをかけて楽しそうに踊っていたこと。

これはまったく予想外の風景で考えさせられるものがありました。

現地の二十歳前の若者たちと交流する機会があったのですが
日本の同じ年頃の青年もそうかもしれないけど
砂漠の状況をはじめ、地球全体に起こっている気候変動についてはほとんど意識がないようでした。

学校では習わないんですね。
彼ら曰く学校では試験に受かるための勉強のみしているとのこと。
そして大学に進んだらいい会社に入社するための勉強をするのでしょう。

彼らとの関わりが教えくれたことは国籍や、年齢を超えて交流すること
会話することの重要性でした。

ダライラマ法王が先月の長野での講演のとき熱心に話されていたこと

『日本人はもっと英語を勉強するべき。好きとか嫌いとか抜きにして
世界では現在、英語が公用語。
日本人は世界に出てって世界に貢献できるはずだ。』

という言葉が思い出されました。

日本は戦後、短期間で経済成長したので戦前の自然に根ざした暮らし、
戦後の経済成長の過程、成功、失敗、光と影を体験した希少な民族ではないかと思います。

もちろん日本人が特定の価値観を押しつけることは出来ないです。
しかし、経験したことをシェアしてお互いが不必要な失敗を繰り返さないように学びあい助けあうことは出来るはずだということを再認識することができました。

もちろんそのためには日本の暮らしそのものを注意深く自省する必要があるとは思います。

日本に帰国した僕は日本の植林の第一人者である
宮脇昭先生の著者『木を植えよ!』を読み返しています。

先生曰く『にせものでなく本物の木を植えよ』

本物の木とは本来その土地に自生する生命力の強い木です。
それらの木々は日本の街中では神社などに鎮守の森としてわずかながら
残っています。
それらの木が災害時に火災から いのちを守ってくれるというのです。
神戸の震災のときに実証された経験からも先生は熱心に都市部への植林を推奨されています。

街にこそ森が必要なのですね。

そして日本の山、森に必要なのは
森の手入れのための間伐なのではないでしょうか。

参考
NPO法人 森の蘇り
http://mori-no-yomigaeri.org/info/

世界の気候は二極化が進んでいる感じます。
雨が降らないところには降らない。
日本のように森林の多い国土では
これから集中豪雨が増えていくのではないかと予想しています。
日本のスギ、ヒノキの人工林では一見、立派な森に見えても
根は浅く、土壌も崩れやすいそうです。
つまり土砂崩れの発生は各地で予想されます。

皆さんの地域の林は、森はどうですか?
次世代に いのちを つないでいくために出来ることはなんだろう。
そんなことを僕は今、考えています。

最後に今回、お世話になったモリカン夫婦。
日本砂漠緑化協会の皆さま、
ワンダフルフェステバルの皆さま、
宮城倫理法人の会の皆さま、
そのほか、現地で出会った名も知れぬ方々、
内モンゴルに送りだしてくれた常世軽井沢スタッフにみんなに謝謝!!

そして最後まで読んでいただいた皆さん
ありがとうございました☆

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