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ぎんがのうち 

永遠に繰り広げられる 光と闇のランデブー。螺旋に揺らぎながら僕らは今日も歌い踊る。

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オリンピックを想う

大正生まれのHさんと話をしたら 彼女は東京オリンピックの開催に憤りを感じているようだった。彼女いわく戦後の東京オリンピックの際、ほとんどの日本人は実際に足を運んで 観ることが出来なかったそうだ。というのも 観戦チケットは ほぼ外国向けに抑えられて いたようで 変わりに日本人向けには当時普及しはじめていたテレビを買うよう促されたのだという。もしかしたら今度のオリンピッ クで描かれているシナリオも似たり寄ったりの構造なのかもしれない。 僕は正直に云うなら開催に至るかも含めて まだまだ未知数だと観じている。収束していない問題がある中、のんきに喜ぶ氣持ちには 正直まだなれない。 ただなんとなく紆余曲折をへて一度中止に近い状態となり 見直し洗いなおしを経て 新しい時代精神に沿ぐう価値観に一刷された後に 新時代の幕開けの象徴として開催へと至る おぼろげな予感も二重写しの未来のように見えている。 いずれにせよ一部の1%の人のみが得をするような旧世界の崩壊は近いのではないだろうか。 いま求められているのは創造力だ。物語だ。 愛と調和と喜びに もとづいた新時代への扉 となる星明りとなる物語のシナリオの断片が 必要なのだ。きっと皆それぞれが平和の礎となる断片となるワンピースを持っている。ひとりひとりが本来の役割を全うしたとき自ず と世界は変容する。というか既に変容していることに氣づくのだろう。みなそれぞれの夢をみて それぞれの道を歩んでいる。オリンピックに夢をみるもの。夢をみないもの。物語を制したものが世界を制するという 古くからの云い伝えのように ひとりひとり が物語の中心を生きはじめたとき世界はどん なに美しい輝きを放つことだろう。

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生きてるうちに生きるのだ!


生きてるうちに生きるのだ。


今日は朝から近所の高台にある飯綱山公園まで歩いてきました。 気持ちよかったあ。
といっても最初はどこまで歩くかも決めずに、
ただただ心地よいほうへ歩きたいほうへ歩きました。

青空を流れゆく美しき雲たち。望む浅間山の稜線。太陽のまわりに射す虹色の日 輪。光を受けて輝く街並み。
それらのすべてと語らうように歌い歩きました。
歩くことの幸せ。 歌い声を出す喜び。

あたりまえに感じている何気ないことほど忘れがちだけど、
あたりまえではないのだ。
誰かと出会い語り笑いあうことも。

生きてるうちに生きるのだ!

お昼過ぎに弁天の湧き水様に立ち寄って 喉をうるおし
近所の仲間の家に顔を出し てゆっくり団欒させていただきました。
Hさんファミリーのみんな、ありがとうね!

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Yさんのこと

ある晴れた日の朝のこと
見たこともないほどの大粒の雪が降ってきた。
雪は雲から生まれてくるとおもっていたが
必ずしもそうではなかったようだ

そして明くる日の朝のこと
Yさんが亡くなられたと連絡があった。
息をひきとった後の彼女の表情は穏やかだった。
その夜は沢山の仲間が集い、
彼女が大好きだった音楽を捧げる音楽葬が行われた。
涙あり笑いありの月の美しい夜だった 。
Yさんの亡骸は明日焼かれ灰と煙となり空へ還り
残ったお骨はやがてゆっくりと大地に 還っていくのだろう

そして今ね
彼女の得意だったテレパシックな方法で
歩きなさい 歩きだしなさいって
彼女が語りかけてきているように感じている
春も近し 歩きだす季節

見過ごしがちだけど健康と笑顔は宝物だとか
死ぬこととは 生きることとは何か
彼女が今も尚伝えてくれているように感じている
畑と田んぼの手伝いもありがとうね
なかなか素直にアドバイスを聞かない頑固な自分を
もどかしそうにしながらも
ゆるして愛してくれたね
あらためて 頑固な自分をゆるしてね
そして暖かな愛をありがとう
まるで月のように影ながら見守る愛を



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この世界は多面体 ~どこから見るかで世界は変わる~

『この世界は多面体、 どこからみるかで世界のみえ方が変わ る』


昨日の不思議な曇と出合い天地さかさまにして写真を眺めてみました。すると曇たちが光さす方へと向かっているようにみえました。 一方、地上からみていると光射す太陽から曇が 生まれて次第に12個の雲に分岐していく ように映りました。

サンキャッチャーって皆さんご存知で しょうか。透明なガラスの多面体構造で 太陽光が射すとサンキャッチャーが光を 分光して虹色の光を反射するというもの です。ひとつひとつの面に光のあたる角 度で色が変化していくのですが昨日ちょ うどサンキャッチャーをまじまじと凝視 しながら瞑想していたら昨日の曇が時を 同じくして発生したのです。

どこから見るかで世界のみえ方は変わる。

多かれ少なかれ程度の差はあれ僕らは無意識のうちに色眼鏡をかけて世界を見て いるのかもしれません。ちょうど昨日は 節分で『鬼は外、福は内』と豆まきをし た人も多いかもしれませんが『俺は鬼だ ぞ!』って自覚している鬼ってきっと少 ないのでないでしょうか。わたしが何か を鬼と見たときに心の中に鬼が初めて存 在するのであり、あるいはわたしに追い 出された鬼からしたら鬼はわたしの方か もしれません。いろんな色づけや意味付 けをしたり(今この瞬間すでにおこなって たり) しながら、ああだ!こうだね!と わいわい色とりどりの輝きを世界に放ち ながら多面体宇宙の一側面を担っているのでしょうか。

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最後の1日と、皆神山

今朝見た夢。
どこかへ船で旅立ちゆく友を しっかりと抱きあい見送るという夢でした。

一期一会という言葉があります。 今日という1日がもし最後ならどのように1 日を生きるかと近頃意識することがありま す。

やりのこしていることはないだろうか。 伝え忘れていることはないだろうか、とか。

優しさとか慈しみだとか純粋な想いは僕らの 霊魂と呼ばれているものがカラダを離れて授 かり働いてくれていたカラダが塵に還っても 生きつづけると感じることがあります。

隣同士にいるはずなのに心が出会えてい ないこともあるし、 時空間の隔たりがあっても暖かな存在を胸に しっかり感じることもありますよね。

それと今日はどういうわけか山に登りなさい と いいたくあります。 (といいつつ自分も近頃登っていません。すいません。。。) 皆さんの暮らす街の近くに里山ってあります か? 長野市の近くに皆神山という名の山がありま す。 凄い名前だなあと感じていて何が凄いかとい うと『皆が神の山』と名が伝えてくれている ところです。僕らは見かけの美しい山や背丈 の高い山に引かれがちです。一方、近所の山 はあんまり目立たなかったり不恰好にうつっ たり。しかしどうでしょう。僕らの街を潤し てくれている水はどこからやって来ているで しょうか。浜辺の街に大津波がきたとして高 台となり守ってくれる山はどこでしょう。不 恰好に見えるまで山を削り街をつくり日々生 かされているのは誰でしょうか。 それぞれの暮らす街に目を向けてみてねと云 われている氣がしています。 皆、神の山。命を育む聖なる山。 バルセロナにある建築サクラダファミリアは ご存知の方も多いかとおもいます。訪ねた 際、僕も好きになりました。そしてひとつ 知って心に残ったことが建設者のガウディは サクラダファミリアを建築する際に街のすぐ そばにあり人々を見守ってくれている山より 高くしないとしていることでした。自然を敬 う心が根底にありサクラダファミリアは長く 人々に愛され受け継がれているのかもしれま せん。 なんだか今朝は朝からとりとめなくつらつら と長文になりましたね。最後にもう一度。

『今日が最後の与えられた1日なら、どんな 風に生きますか?』 日曜日、ちょっとだけ心を休めてあなたの生 きている世界を見渡して僕らをいつも見守ってくれている山に意識を向けてみませんか? ハイキングに登ってみると、なおいいですね。ではでは今日もいい1日を。
ごめんなさい、ゆるしてください。愛してます、ありがとう。

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